2007年10月18日更新
<さかもと未明>北京五輪を控えた中国
北京五輪を控えた中国は
本気で国際ルールに従う気があるか
1988年玉川大学文学部英文科卒。商社OLを経て24歳で漫画家デビュー。レディスコミック誌を中心に活躍するかたわらルポやエッセイも執筆し、売れっ子となる。00年、「文学界」にて『花悩』で作家デビュー。現在、日本テレビ『スッキリ!!』(月~金、午前8時~)のレギュラーコメンテーター。著書に『マンガ ローマ帝国の歴史1~3』(講談社)、『右よりですが、何か?』(ワック)など。
本気で国際ルールに従う気があるか
1988年玉川大学文学部英文科卒。商社OLを経て24歳で漫画家デビュー。レディスコミック誌を中心に活躍するかたわらルポやエッセイも執筆し、売れっ子となる。00年、「文学界」にて『花悩』で作家デビュー。現在、日本テレビ『スッキリ!!』(月~金、午前8時~)のレギュラーコメンテーター。著書に『マンガ ローマ帝国の歴史1~3』(講談社)、『右よりですが、何か?』(ワック)など。中国製品がまきおこすあまりの「惨状」にあいた口がふさがらない。ペットフードでペットの命が奪われたすぐあとには、人間の命さえ奪った製品があったことまで報道された。これはもう立派な犯罪国家である。
そうなってくると、どうしても納得できないのが来年に控える北京オリンピックのことだ。それに向けて中国に近代化を迫る動きが一連の報道になっているのかもしれないが、あわてて身奇麗にさせるのではとても間に合わないだろう。だいたい中国は本気で国際社会のルールに従う気持ちがあるのだろうか。いくらなりふり構わず近代化を進めたい事情があったとはいえ、米国や日本の有名キャラクターを模して作った遊園地や、さまざまな電化製品のコピーなど、その行状はご愛嬌ですますには度を越えている。
日本の企業などはさまざまな努力をしたにもかかわらずコピーの氾濫を防げなかったのだろうが、そこには歴史観などを盾にとった中国のパフォーマンスに負けた部分もあったのだろう。あれだけ日本バッシングを行ないながら、同時にあれだけのひどいコピー商品で「近代化」の資金を備蓄していたとは、敵ながら天晴れだが、その二枚舌と厚顔に負けない日本でありたい。
かつてアメリカの有名なコンテンツ会社は、自社の人気キャラクターを軽い気持ちで看板などに使った店舗や企業をしらみつぶしに訴訟し、時には廃業に追い込んでまで権利を守ったという。コンテンツや権利を守るというのは、そのくらい奇麗事ではすまない力仕事なのである。正直なところ、「ココの製品をコピーしたり、粗悪品を納入したらただではすまない」という威圧感を相手に植え付けることが、身を守り、相手の野放図を許さない唯一の方法だ。まして中国のような裏取引に長けた国を相手に、お坊ちゃま然として書面の取り交わしなどで相手の反則を封じることなどできるはずもない。
そこでまたオリンピックの話である。わたしは、北京オリンピックのボイコットなどを叫ぶものではない。4年に1度の祭典のため、あらゆる犠牲を払って練習にいそしんできたアスリートたちの努力が、政治で阻まれるのはあってはならないと思う。しかし、今の中国に対して「オリンピックをやれる国ではない」という世界的ネガティブキャンペーンが行なわれないのは本当に不思議だ。まじめに働いた日本人としては、「よほどの裏金が動いているのか、核の保有が大きいのか。私たちのすばらしい果実を利用してきただけの、今も内実はめちゃめちゃな国が、先進国の椅子にちゃっかり座ってオリンピックをやるのはどうにも納得できない」というのが偽らざる気持ちではないか。私もそうだ。
が、どうしたものかと考えていたら、ふと、聖書のぶどう園の話を思い出した。朝早くからぶどう摘みをした人と、夕方に来た人が同じ賃金であることをイエスはよしとした説話である。世界とはおそらくそんな風にできている。そして「夕方でも同じ賃金なら夕方に行こう」というのが中国式なのである。しかし、私たち日本人がそのまねをしたら、私たちが日本人である拠り所はたちどころになくなってしまう
私たち日本人は、その勤勉で、コピーされるほど見事なものを昼夜働いて開発して今の国際社会での立ち位置を得たのである。私たちは、何があっても夕方にぶどう園へ来る人をうらやましいなどと思わず、朝早くからぶどう園に行って働くべきなのである。そうした人々が、遅れてくる人々を支え、最後には発言権を持ち、世界になくてはならない存在になるはずだ。私たちは、本当に許しがたいことをされたとき、「北京はやめて日本でやったらどうですか。いつでも受け入れられます」という準備だけして、あとは世界に信を問えばいい。それができたとき、かの非礼な隣人も「日本を怒らせたらまずい」と、態度を改めてくる。そんな気がする。
<月刊ベンチャー・リンク 07年10月号>
そうなってくると、どうしても納得できないのが来年に控える北京オリンピックのことだ。それに向けて中国に近代化を迫る動きが一連の報道になっているのかもしれないが、あわてて身奇麗にさせるのではとても間に合わないだろう。だいたい中国は本気で国際社会のルールに従う気持ちがあるのだろうか。いくらなりふり構わず近代化を進めたい事情があったとはいえ、米国や日本の有名キャラクターを模して作った遊園地や、さまざまな電化製品のコピーなど、その行状はご愛嬌ですますには度を越えている。
日本の企業などはさまざまな努力をしたにもかかわらずコピーの氾濫を防げなかったのだろうが、そこには歴史観などを盾にとった中国のパフォーマンスに負けた部分もあったのだろう。あれだけ日本バッシングを行ないながら、同時にあれだけのひどいコピー商品で「近代化」の資金を備蓄していたとは、敵ながら天晴れだが、その二枚舌と厚顔に負けない日本でありたい。
かつてアメリカの有名なコンテンツ会社は、自社の人気キャラクターを軽い気持ちで看板などに使った店舗や企業をしらみつぶしに訴訟し、時には廃業に追い込んでまで権利を守ったという。コンテンツや権利を守るというのは、そのくらい奇麗事ではすまない力仕事なのである。正直なところ、「ココの製品をコピーしたり、粗悪品を納入したらただではすまない」という威圧感を相手に植え付けることが、身を守り、相手の野放図を許さない唯一の方法だ。まして中国のような裏取引に長けた国を相手に、お坊ちゃま然として書面の取り交わしなどで相手の反則を封じることなどできるはずもない。
そこでまたオリンピックの話である。わたしは、北京オリンピックのボイコットなどを叫ぶものではない。4年に1度の祭典のため、あらゆる犠牲を払って練習にいそしんできたアスリートたちの努力が、政治で阻まれるのはあってはならないと思う。しかし、今の中国に対して「オリンピックをやれる国ではない」という世界的ネガティブキャンペーンが行なわれないのは本当に不思議だ。まじめに働いた日本人としては、「よほどの裏金が動いているのか、核の保有が大きいのか。私たちのすばらしい果実を利用してきただけの、今も内実はめちゃめちゃな国が、先進国の椅子にちゃっかり座ってオリンピックをやるのはどうにも納得できない」というのが偽らざる気持ちではないか。私もそうだ。
が、どうしたものかと考えていたら、ふと、聖書のぶどう園の話を思い出した。朝早くからぶどう摘みをした人と、夕方に来た人が同じ賃金であることをイエスはよしとした説話である。世界とはおそらくそんな風にできている。そして「夕方でも同じ賃金なら夕方に行こう」というのが中国式なのである。しかし、私たち日本人がそのまねをしたら、私たちが日本人である拠り所はたちどころになくなってしまう
私たち日本人は、その勤勉で、コピーされるほど見事なものを昼夜働いて開発して今の国際社会での立ち位置を得たのである。私たちは、何があっても夕方にぶどう園へ来る人をうらやましいなどと思わず、朝早くからぶどう園に行って働くべきなのである。そうした人々が、遅れてくる人々を支え、最後には発言権を持ち、世界になくてはならない存在になるはずだ。私たちは、本当に許しがたいことをされたとき、「北京はやめて日本でやったらどうですか。いつでも受け入れられます」という準備だけして、あとは世界に信を問えばいい。それができたとき、かの非礼な隣人も「日本を怒らせたらまずい」と、態度を改めてくる。そんな気がする。
<月刊ベンチャー・リンク 07年10月号>



