2007年09月27日更新
<9月号特集>官による企業再生事例/川千家
新会社への営業譲渡と意識改革により
250年続く下町の老舗料理店が甦る
250年続く下町の老舗料理店が甦る
東京の下町、葛飾柴又で帝釈天の参拝客と地元の人々から親しまれてきた老舗料理店、川千家。バブル下での盛況を受けての拡張が災いし、一時は民事再生しか道はないとも思われる経営難に陥ったが、東京都中小企業再生支援協議会の門戸を叩き、新たな道が開けた。
■川千家 天宮久嘉社長
川千家 会社概要【所在地】〒125-0052 東京都葛飾区柴又7-6-16
【TEL】03-3657-4151
【資本金】1000万円
【売上高】3億円
【従業員】40人
92年には、宴会場などを増床する大型投資を行なった。低い建物が多い葛飾柴又では、かなり目立つ。
柴又帝釈天への参道にある川千家の正面玄関。歴史ある川魚料理店ならではの風情あふれる趣を醸し出している。
バブル期に盛況の座敷を拡張し、
債務超過に陥る
川千家は1778年の創業以来、うなぎや川魚の料理店として歴史を刻み、葛飾柴又の〝顔.ともいうべき老舗だ。バブル崩壊のあおりを受けて苦境に陥ったあとものれんを下ろすことなく、今日まで伝統を守り続けることができたのは、東京都中小企業再生支援協議会の支えがあったからこそと言っても過言ではない。
「一時は、資産を売却するか、店舗をつぶして駐車場にするかという話もありましたが、長い歴史もあり、どうにかして残したいと考えていました」と川千家の9代目で当時の社長の天宮吉久氏は当時を振り返る。同協議会の支援のもと、新会社が設立され、10代目として社長に就任したのは、旧・川千家で専務を務めていた息子の天宮久嘉氏。06年1月に産声を上げた新・川千家は、以前よりも売り上げを伸ばしつつある。うなぎの鮮度によりこだわり、新メニューを積極的に取り入れ、接客術を向上するなどした結果、繰り返し訪れる客も増えてきた。
川千家が経営危機に見舞われたのは、92年に行なった設備投資が裏目に出たためだった。日本経済がバブルに沸いた頃、同店は大変なにぎわいを見せ、なかでも宴会部門は盛況をきわめた。役所や消防署、地域団体を始めとした団体客は時に1組100人規模にもなり、最盛期の年間売上高はおよそ9億円に上った。
そこで、10数億円の融資を受けて座敷を広げる攻めの戦略に出たのだが、バブルが崩壊。宴会は激減し、宴会場の稼働率はわずか10数%にまで落ち込んでしまう。年間売上高は2億6000万円にまで落ち込んだ。
営業利益は何とか出ていたものの、融資の返済負担が重くのしかかる。やがて債務超過となり、97年からは利息だけの返済となり、00年にはそれすら支払えない状態となってしまった。
そこで、収益の出ていた食堂部門は残し、仕出し部門と座敷部門を閉鎖。従業員も数多く解雇せざるを得なかった。座敷は地元の声もあって再開したが、経営状態は切迫する一方だった。
新会社に営業譲渡し
債務を特別清算で実質カット
03年12月、天宮吉久社長(当時)は東京都中小企業再生支援協議会に相談に訪れた。同協議会は川千家の事業は見込みがあるとの判断を下し、再生計画の立案に乗り出した。中小企業診断士、弁護士、公認会計士、税理士など専門家からなる支援チームが組まれ、再生への道が提案されたのだ。
事業の抜本的改善と財務再生スキームとして柱となるのが、新会社の設立だった。これを受け皿として取引先、従業員などの企業資産を譲渡し、借入金など負の資産を残した旧会社は営業譲渡代金などを債務返済に充てたのちに特別清算するという内容だった。
再生のためには金融機関の了承が不可欠だが、川千家にほぼ100%の融資をしていた亀有信用金庫は提案に対して積極的だった。川千家は葛飾柴又に必要不可欠な老舗であり、地域経済を衰退させないためには、債権放棄となったとしても事業再生が望ましいと考えていたからだ。
もちろん、金融機関は残債の放棄を承諾する以上、ある程度の経営責任を求めることになる。それが社長の退任であり、社長個人の資産であった川千家の不動産などはすべて新会社の資産として提供するというものだった。
新会社の社長に息子の天宮久嘉氏が就くことで実質的な事業承継が図られたものの、従来の家族経営からの脱却も迫られた。出資者は亀有信金や再生ファンドである東京チャレンジファンドとし、社外取締役を置くことで、創業者一族に権限が集中せず企業としての健全な経営が行なわれる仕組みにした。旧・川千家から受けた営業譲渡の対価は新規借り入れで賄うが、これには亀有信金を主幹事として地元信金4行が協調して融資を行なうシンジケートローンを採用し、経営監視体制が強化される。
老舗の思い込みを捨て
サービスの質を改善
中小企業再生支援協議会の支援は、事業の根幹や会社の経営中枢にまで及んだ。老舗として独特の価値観で「街の商売」を続けてきた慣習を断ち切り、一般的な飲食・小売業としてのサービス充実が図られた。計画だけ策定しても再び経営状態が悪化する可能性があると判断した中小企業診断士は、営業から接待、給仕、はては挨拶の仕方まで、丸1年以上かけて改革を行なった。
「それまでは、老舗だからビジネス書にある経営方法はいっさい関係ない、特殊なお店なのだと家族全員が思っていました。ところが、中小企業診断士の先生から色々と教わるうちに、なんてことはない、ウチもごく一般的な飲食店なのだと分かってきたのです」(天宮久嘉社長)
それは大変な意識改革だった。初めのうちの「相手が何をしてくれるのか」という受け身は、ほどなくして「自分たちが変わっていかなければならないのだ」という積極性へと転じた。社員教育は部門や内容ごとにチーム分けされ、仕事の現場で知識や技術を習得するOJTにより進められた。社長と結婚したばかりの妻も、父親の前社長も積極的に参加し、川千家は一丸となって進化していった。
こうして川千家は生まれ変わった。心配された風評被害もなく、むしろ好意的に受け入れられ、応援の声が数多く寄せられた。現在は食堂が中心となっているが、今後は座敷部門の稼働率を高める方針という。苦境を乗り越えた葛飾柴又の老舗は、帝釈天参拝客、「寅さん」ファンの観光客、そして地元の人々の食事処として愛され続けている。
(文・横山博之)
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