2008年05月08日更新
<雨ニモ負ケズ>ツカサグループ
ウィークリーマンションの成功と挫折から
小規模レンタルオフィスで見事に返り咲く
川又三智彦代表
1947年栃木県生まれ。サレジオ高校卒業後、米国ノースウェスタン・ミシガンカレッジに留学。99年にウィークリーマンションの営業権を米投資会社リーマン・ブラザーズへ売却、現社名の「ツカサ都心開発」を設立。
小規模レンタルオフィスで見事に返り咲く
川又三智彦代表1947年栃木県生まれ。サレジオ高校卒業後、米国ノースウェスタン・ミシガンカレッジに留学。99年にウィークリーマンションの営業権を米投資会社リーマン・ブラザーズへ売却、現社名の「ツカサ都心開発」を設立。
かつて、ツカサのウィークリーマンションは東京名物とまで言われた。1980年代後半のバブル景気の波に乗り、川又三智彦代表(60)は時代の寵児となる。しかし、90年4月に不動産融資の総量規制が始まったのを契機にバブルが崩壊してからは、坂道を転がるように業績が落ちた。川又代表は負債1450億円を抱える借金王となる。それから17年。「個人支援」を貫き続けたツカサグループはレンタルオフィス事業で再び東京の市場に頭角を現している。
資産1000億円で時代の寵児に
ツカサグループは83年に始めた「ウィークリーマンション」という画期的な住居賃貸ビジネスを日本に広めた。背景にあったのは、「個人支援」という理念だ。敷金、礼金、保証人とも不要の家具つきマンションを1週間程度からと短期で借りることができれば、手荷物だけで上京した人がすぐに生活を始められる。短期滞在の旅行や出張にも便利とあって、ウィークリーマンション事業は目覚しい成長を遂げた。
「アメリカに留学した時に住んでいた家具食器つき、入居時の権利金や手数料が不要という便利なアパートにヒントを得てウィークリーマンション事業を始めました。当時、日本には類似の賃貸物件がなく、需要は絶対にあると思っていましたね」
こう振り返る川又代表が経営者の道を歩み始めたのは、父親が病に倒れ、家業の不動産業を継いだ25歳からだ。一時は30棟の木造アパートを所有し、経営も順調だったが、ワンルームマンションの登場で事業にかげりが出始めた。
36歳で決断したウィークリーマンション事業は、老朽化したアパートの有効活用策であり、わずか6室からのスタートだった。当初は家賃の滞納や家具の持ち出しなどに泣かされたが、契約期間しか使えないカードロックシステムの導入や監視システムの強化などの対策を講じた。
時代はバブル経済に突入し、「ヨンヨン、マルマル、ワンワンワン、ツカサのウィークリーマンション」とリズム感のある歌が印象的なテレビCMの宣伝効果もあって、総部屋数は4000室にまで達した。飛ぶ鳥を落とす勢いの川又代表は、88年に『週刊現代』の特集記事「日本の金満家63人」の1人に選ばれている。
40歳にして資産1000億円。「若き成功者」「時代の寵児(ちょうじ)」とマスコミにもてはやされた。しかし、急成長のあとには急降下が待っていた。
90年3月、大蔵省(現財務省)が不動産融資に対する総量規制の通達を出したことが引き金だ。
ほどなくバブルが崩壊。所有不動産物件の価格は10分の1にまで落ちた。
「それまで、『どうぞ、お金を借りてください』と平身低頭だった銀行が豹変し、手のひらを返して『融資の全額を返せ』と言ってきました。地価も暴落し、気がつくと1450億円もの負債を抱える身になっていました」(川又代表)
170人いた社員は30人にまで減った
再建への道のりは厳しかった。不動産物件を1つ、また1つと手放しながら営業を続けたが、巨額の負債は容易には減らない。99年に外資系のリーマン・ブラザーズから買収の話をもちかけられると、川又代表は大切に育てた事業を手放す覚悟を決めた。約10棟の物件と合わせて営業権も売却するという内容で、「ウィークリーマンション」の名称も、知名度抜群のコマーシャルソングも使えなくなる。それでも川又代表はこの買収話を朗報と捉えた。
「170人いた社員のうち140人を引き取ってもらい、借金も800億円ほどに圧縮できました。まさに助け舟だと思いましたね。社員が路頭に迷うことなく事業を整理でき、私自身も再びスタート地点に立てることから、感謝の気持ちでいっぱいでした」(川又代表)
残されたのは、木造アパート520戸、稼働率の低い賃貸オフィス、そして賃貸物件運営のノウハウのみ。前途ある再出発とはいえないが、それでも希望を失わなかった。「悪いのは自分でも銀行でもなく、時代だと悟ったのです。ならば、じっと待っていれば時代は必ず変わる。とことん待ってやると決心しました」(川又代表)
もちろん、受け身で待っていたのではない。新聞、雑誌、経済書をむさぼるように読み漁り、手元に残った資産でできることは何か、来るべき時代に必要とされるのは何かを、とことん考え抜いた。そうした末に得た結論の1つが、レンタルオフィス事業である。
川又代表が手がけていた賃貸オフィスの入居率は5割程度で赤字が続いていた。そこで、ウィークリーマンション事業の手法を導入して活路を開こうとしたのである。

レンタルオフィスの外観(東京・兜町の物件)とその室内。レンタルオフィスは都内14物件で約2000室。1カ月1万8000円(税込)からと料金は格安だ。部屋は24時間利用でき、インターネット回線も完備。
レンタルオフィスから東証一部上場会社も誕生
川又代表の読み通り、ツカサがレンタルオフィス事業に乗り出して間もなくSOHO(小規模・個人用事務所)のブームが起きる。敷金、礼金、保証金が不要で、月単位で契約更新でき、場所や建築年数によっては月1万8000円からという格安賃料の小さなオフィスは、起業を目指す人や個人事業者、セカンドビジネスの拠点として人気を呼び、空室待ちも出るようになった。
03年には、日本橋と兜町(ともに東京都中央区)に、それぞれ 200室を超える起業家支援オフィスビルを完成させた。共用スペースや喫茶スペースも備えたほか、完全個室の各室にはインターネット回線はもちろん、シャワー、洗面台、トイレを設置し、室内全体に防菌・防汚・防臭加工を施すなど快適性にも配慮した。会社員で仕事帰りに立ち寄って活動する“アフターファイブ事業家”や平日に会社勤めをしながら土日は自分の事業を手がける“週末企業家”など、様々な人々が利用している。
ツカサのレンタルオフィスは現在、都内に2000室。ここを出発点として、すでに東証一部上場へと成長した有名企業もある。「ここから多くの個人事業者や中小企業が羽ばたいて行ってくれたことが何よりうれしい」そう言って笑みを浮かべる川又代表は最近、「新たな個人支援」としてレンタルマンションの構想を描いている。入居対象は幅広く、高齢者から定職に就かない若者まで視野に入れる。敷金や礼金が不要で安く手軽に借りられる物件を提供することで、「住まう権利」に応えたいという考えだ。賃料の踏み倒しなどリスクの高い事業と予想されるが、長年の賃貸ノウハウを生かして挑戦していくという。
賃貸住居については、週単位ではなく月単位で借りられるマンスリーマンションとして事業を展開している。昨年は、65歳以上の要介護者でも保証人不要の「シルバールーム」サービスを開始した。すでに福祉・介護はツカサの事業の1つの柱となり、短期入所生活介護施設の運営や訪問介護・看護なども手がけている。
現在は、繁華街として知られる歌舞伎町(東京都新宿区)の空地での老人ホーム建設計画も進行中だ。歌舞伎町は“夜の街”のイメージが強く、普通のマンションは建てづらい。だからこそ、割安の老人ホームにできるという。
「すべての人に生き甲斐やチャンスを」地獄を見た川又代表は、「個人支援」と「弱者支援」に役立つ不動産事業を今後も突き進めていく。
【会社概要】
■設立 1999年9月10日
■所在地 〒141-0022東京都品川区東五反田5-22-37
■TEL 03-5449-1600
■FAX 03-5449-4898
■URL http://www.222.co.jp
■資本金 1000万円 ■売上高 35億円
■事業内容 不動産の賃貸・管理および仲介、ホテル・旅館の経営、情報提供サービス業および情報処理サービス業など
文・今野ひろ美
ツカサグループは83年に始めた「ウィークリーマンション」という画期的な住居賃貸ビジネスを日本に広めた。背景にあったのは、「個人支援」という理念だ。敷金、礼金、保証人とも不要の家具つきマンションを1週間程度からと短期で借りることができれば、手荷物だけで上京した人がすぐに生活を始められる。短期滞在の旅行や出張にも便利とあって、ウィークリーマンション事業は目覚しい成長を遂げた。
「アメリカに留学した時に住んでいた家具食器つき、入居時の権利金や手数料が不要という便利なアパートにヒントを得てウィークリーマンション事業を始めました。当時、日本には類似の賃貸物件がなく、需要は絶対にあると思っていましたね」
こう振り返る川又代表が経営者の道を歩み始めたのは、父親が病に倒れ、家業の不動産業を継いだ25歳からだ。一時は30棟の木造アパートを所有し、経営も順調だったが、ワンルームマンションの登場で事業にかげりが出始めた。
36歳で決断したウィークリーマンション事業は、老朽化したアパートの有効活用策であり、わずか6室からのスタートだった。当初は家賃の滞納や家具の持ち出しなどに泣かされたが、契約期間しか使えないカードロックシステムの導入や監視システムの強化などの対策を講じた。
時代はバブル経済に突入し、「ヨンヨン、マルマル、ワンワンワン、ツカサのウィークリーマンション」とリズム感のある歌が印象的なテレビCMの宣伝効果もあって、総部屋数は4000室にまで達した。飛ぶ鳥を落とす勢いの川又代表は、88年に『週刊現代』の特集記事「日本の金満家63人」の1人に選ばれている。
40歳にして資産1000億円。「若き成功者」「時代の寵児(ちょうじ)」とマスコミにもてはやされた。しかし、急成長のあとには急降下が待っていた。
90年3月、大蔵省(現財務省)が不動産融資に対する総量規制の通達を出したことが引き金だ。
ほどなくバブルが崩壊。所有不動産物件の価格は10分の1にまで落ちた。
「それまで、『どうぞ、お金を借りてください』と平身低頭だった銀行が豹変し、手のひらを返して『融資の全額を返せ』と言ってきました。地価も暴落し、気がつくと1450億円もの負債を抱える身になっていました」(川又代表)
170人いた社員は30人にまで減った
再建への道のりは厳しかった。不動産物件を1つ、また1つと手放しながら営業を続けたが、巨額の負債は容易には減らない。99年に外資系のリーマン・ブラザーズから買収の話をもちかけられると、川又代表は大切に育てた事業を手放す覚悟を決めた。約10棟の物件と合わせて営業権も売却するという内容で、「ウィークリーマンション」の名称も、知名度抜群のコマーシャルソングも使えなくなる。それでも川又代表はこの買収話を朗報と捉えた。
「170人いた社員のうち140人を引き取ってもらい、借金も800億円ほどに圧縮できました。まさに助け舟だと思いましたね。社員が路頭に迷うことなく事業を整理でき、私自身も再びスタート地点に立てることから、感謝の気持ちでいっぱいでした」(川又代表)
残されたのは、木造アパート520戸、稼働率の低い賃貸オフィス、そして賃貸物件運営のノウハウのみ。前途ある再出発とはいえないが、それでも希望を失わなかった。「悪いのは自分でも銀行でもなく、時代だと悟ったのです。ならば、じっと待っていれば時代は必ず変わる。とことん待ってやると決心しました」(川又代表)
もちろん、受け身で待っていたのではない。新聞、雑誌、経済書をむさぼるように読み漁り、手元に残った資産でできることは何か、来るべき時代に必要とされるのは何かを、とことん考え抜いた。そうした末に得た結論の1つが、レンタルオフィス事業である。
川又代表が手がけていた賃貸オフィスの入居率は5割程度で赤字が続いていた。そこで、ウィークリーマンション事業の手法を導入して活路を開こうとしたのである。

レンタルオフィスから東証一部上場会社も誕生
川又代表の読み通り、ツカサがレンタルオフィス事業に乗り出して間もなくSOHO(小規模・個人用事務所)のブームが起きる。敷金、礼金、保証金が不要で、月単位で契約更新でき、場所や建築年数によっては月1万8000円からという格安賃料の小さなオフィスは、起業を目指す人や個人事業者、セカンドビジネスの拠点として人気を呼び、空室待ちも出るようになった。
03年には、日本橋と兜町(ともに東京都中央区)に、それぞれ 200室を超える起業家支援オフィスビルを完成させた。共用スペースや喫茶スペースも備えたほか、完全個室の各室にはインターネット回線はもちろん、シャワー、洗面台、トイレを設置し、室内全体に防菌・防汚・防臭加工を施すなど快適性にも配慮した。会社員で仕事帰りに立ち寄って活動する“アフターファイブ事業家”や平日に会社勤めをしながら土日は自分の事業を手がける“週末企業家”など、様々な人々が利用している。
ツカサのレンタルオフィスは現在、都内に2000室。ここを出発点として、すでに東証一部上場へと成長した有名企業もある。「ここから多くの個人事業者や中小企業が羽ばたいて行ってくれたことが何よりうれしい」そう言って笑みを浮かべる川又代表は最近、「新たな個人支援」としてレンタルマンションの構想を描いている。入居対象は幅広く、高齢者から定職に就かない若者まで視野に入れる。敷金や礼金が不要で安く手軽に借りられる物件を提供することで、「住まう権利」に応えたいという考えだ。賃料の踏み倒しなどリスクの高い事業と予想されるが、長年の賃貸ノウハウを生かして挑戦していくという。
賃貸住居については、週単位ではなく月単位で借りられるマンスリーマンションとして事業を展開している。昨年は、65歳以上の要介護者でも保証人不要の「シルバールーム」サービスを開始した。すでに福祉・介護はツカサの事業の1つの柱となり、短期入所生活介護施設の運営や訪問介護・看護なども手がけている。
現在は、繁華街として知られる歌舞伎町(東京都新宿区)の空地での老人ホーム建設計画も進行中だ。歌舞伎町は“夜の街”のイメージが強く、普通のマンションは建てづらい。だからこそ、割安の老人ホームにできるという。
「すべての人に生き甲斐やチャンスを」地獄を見た川又代表は、「個人支援」と「弱者支援」に役立つ不動産事業を今後も突き進めていく。
【会社概要】
■設立 1999年9月10日
■所在地 〒141-0022東京都品川区東五反田5-22-37
■TEL 03-5449-1600
■FAX 03-5449-4898
■URL http://www.222.co.jp
■資本金 1000万円 ■売上高 35億円
■事業内容 不動産の賃貸・管理および仲介、ホテル・旅館の経営、情報提供サービス業および情報処理サービス業など
不動産融資総量規制
大蔵省(現財務省)が90年4月から91年末にかけて実施した、不動産向け貸し出しを抑制する規制制度。具体的には、金融機関の不動産関連融資残高の前年同期比増加率を、全融資残高の増加率の範囲内にとどめると同時に、建設や不動産、および関連ノンバンク向け融資の実施状況の報告を義務づけた。ただし、住宅融資のシェア低下に悩んでいた住宅金融専門会社(住専)は総量規制の対象外とした。これにより、住専は不動産関連融資を肥大化させ、不良債権増大の一因となった。
大蔵省(現財務省)が90年4月から91年末にかけて実施した、不動産向け貸し出しを抑制する規制制度。具体的には、金融機関の不動産関連融資残高の前年同期比増加率を、全融資残高の増加率の範囲内にとどめると同時に、建設や不動産、および関連ノンバンク向け融資の実施状況の報告を義務づけた。ただし、住宅融資のシェア低下に悩んでいた住宅金融専門会社(住専)は総量規制の対象外とした。これにより、住専は不動産関連融資を肥大化させ、不良債権増大の一因となった。
文・今野ひろ美
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