2008年03月19日更新
<ビジネスワイド>可能性が広がるモンゴル
可能性が広がるモンゴル
角界の友好関係はビジネスに飛躍する!?

ウランバートル最大の寺院、ガンダン寺
角界の友好関係はビジネスに飛躍する!?

旭鷲山、朝青龍、白鵬…ここ数年、モンゴル人力士の活躍がすっかり定着した角界。おかげで、モンゴルの人々も圧倒的多数が相撲ファンだ。しかし、モンゴル国はかつてソ連の強力な影響を受け、1922年に「世界2番目の社会主義国」として中国から独立し、91年のソ連邦崩壊で一気に政治体制の転換にともなう経済困難におかれ、現在も社会資本の整備から独自産業の創出など多くの課題を抱え、先進各国に協力を仰いでいるのだが……。
美しい自然と手つかずの埋蔵資源
――モンゴルの大地は無限の可能性秘める
3月1日、筆者はチャーターした車でウランバートル市を出て、緩やかな陵線がうねる草原の中の道を進んでいた。日本留学を目前に、仕事を休職していて筆者に付き合ってくれている政府職員のスーヘさん(26)は、ハンドルを握りながらこんな話をしてくれた。
「モンゴルの広い大地の下は、豊富な鉱産資源が存在しているはずです。でも、ソ連との同盟国時代を通じて、ずっと手つかずのままでした。せいぜい岩塩くらいが輸出資源でしょうか。鉄道も100年近く前に敷かれたものから、路線も増えていませんし、道路もこんなに状態が悪ければ、資源開発しても輸送がままならないですからね」
首都ウランバートルを含め、モンゴルの幹線道路の舗装はデコボコだ。今年は異常に暖かいが(筆者が出かけている時点で最低気温-7~-9度、最高気温は0度程度)、例年の冬から早春は-20~-30度の酷寒で、夏は40度以上まで気温が上昇する。この寒暖の差は、道路舗装に大きなダメージを与える。路盤の土が膨張と収縮を繰り返し、舗装面はボロボロに欠けてしまう。
「モンゴルじゃ、普通の高級乗用車はすぐに壊れてしまいますね。高級な4輪駆動車や丈夫なベンツなら、大丈夫ですけど」(スーヘさん)
スーヘさんは、中古のベンツ・セダンに乗っている。しかし、行き交う車は、ほとんどがボロボロ。筆者はアジア諸国をあちこち行ったが、車の型式からいってモンゴルくらい早く自動車が傷んだ状態になる国はほかにないだろう。こんな話をしているうちに、われわれのベンツも、パンクしてしまいタイヤ交換……。
こんなモンゴルでも、例外的にきれいな舗装のまま、過酷な天候に耐えて保たれている道路がウランバートル市内にある。ほんの数キロしかないが、地元のモンゴル人たちが「太陽の道」と呼んでいる日本のODA(政府開発援助)で作られた道だ。もちろん、日本企業が技術指導し、建設した。こうした日本の技術に、現地の人たちは舌を巻き日本に対する尊敬と期待を高めている。
こうした社会資本整備については、日本の建設技術は世界でピカ一だ。もし、スーヘさんが嘆いたモンゴルの道路事情を改善するために日本企業が率先して活躍すれば、単に一分野にとどまらない経済波及効果があるのは、明白なのだが。

自然を楽しめるゲル村
人口の大半が集まるウランバートルは、建設ラッシュ
いま、人口160万人のウランバートルは建設ラッシュだ。ここ2~3年のうちに「ロシア・タウン」「日本タウン」「韓国タウン」と通称されるマンション団地の建設が、急速に進んでいる(これらの呼称は、各国からの建設企業の参画や資金提供ぶりが反映している)。モンゴル国は、国土こそ日本の5倍強もあるが総人口はわずか260万人余。しかし、その大半が、大きく移り変わる経済情勢のなかで仕事を求めて世界との窓口である首都に移り住んできているのだ。
この急速な人口集中は、いまだウランバートルを慢性的な住宅不足の状況におく原因となっている。遊牧民から労働者に“職業がえ”した人々は、しかしながら当面の住宅としてかのジンギスカン時代より遊牧生活で使ってきたゲル(組立式・フェルト地の防寒テント)を使っている。首都の人口の半数が、いまだ“ゲル暮らし”だ。
モンゴル政府は、国際的な援助の多くを住宅建設分野に投入しており(厳しい気候は、“住すなわち生命にかかわる問題”だからだ)、ウランバートルでの建設業は活況状態が続いている。しかしながら、この建設業の多くのシェアを占めているのが、地の利を得た隣国・中国の建設企業である。中国企業は、自国の農村部から安い労働力を集めてモンゴルに投入し、高い利益率で工事請負をしているようだ。
しかし、中国企業の活況の裏で、さまざまな問題も起きている。
「中国の下層労働者と地元モンゴル人の間で、摩擦が生じています。文化の違いもありますが、いままで犯罪がほとんど起こらなかったモンゴルで組織的な窃盗事件や殺人事件が発生するようになりました。モンゴル人の一部では、外国人労働者の大量導入がこうした状況をもたらしたとみて、排斥を求める傾向も出ており、事態は複雑です」(地元治安機関幹部)
モンゴルの人たちは、大きな社会・経済情勢の変化の中で今まで直面しなかった問題にぶつかり、困惑している。そのなかで、技術的にも文化的にも高い到達を世界に示してきた日本企業の進出に期待する声がモンゴルの行政機関幹部や経済人の間で聞かれた。「教育レベルが高く、親切な日本の人々に来てもらって一緒に働きたい」――こうしたモンゴルの人々の声に、日本政府はもとより経済界も一考すべきものがあるのではないだろうか。
あらゆる分野で“未開”の魅力
――「ノモンハン事件70周年」を契機に日モ関係の飛躍を
今年は、モンゴル国の現代史のなかで重大な戦争であったノモンハン事件からちょうど70年目を迎える。当時のモンゴル人民共和国と旧満州国の未確定国境線問題をめぐり、モンゴル国境警備隊と満州国軍および日本陸軍の関東軍部隊が衝突したことに端を発し、ソ連軍まで大軍を繰り出して大きな武力紛争が繰り広げられたのは、1939年5月から9月にかけてのことだった。
この紛争については、日モ両国間で事後処理について公式に話し合われたのは、つい数年前である。戦場現地に残された日本側戦死者の遺骨は約3000柱といわれるが、遺骨収集事業は3年前に始まったばかりで、日本に戻ったのはわずか30数柱に過ぎない。
今後、日本がモンゴルと衝突するような国際情勢が再現されることはあり得ないが、異国の地で日本人同朋がほとんど無意味な戦い(双方とも侵略意図はなく、日本―ソ連の軍事的緊張関係を背景にエスカレーションした不幸な武力衝突だった)で骸をさらしたままになっているのは、日本人にとってもモンゴル人にとっても悲しいことである。この遺骨収集が進まない原因に、モンゴル全体の社会資本整備の遅れも大きな割合を占める。現地に赴くだけでも、軍用飛行機とオフロードカーを乗り継いで、数日を要するような大変な苦労が求められるのだ。
「モンゴルは、世界に誇れる景観と人間のあたたかさ、くつろぎがあります。観光を柱に平和な国づくりを進め、外国の人にモンゴルの良さを知ってほしい。でも、日本企業から提案やオファーがあることは、ほとんどないですね」
モンゴル国立大学で日本語を専攻し、現在は旅行会社を経営するナランさん(40)はこう述べる。ナランさんは日本語が堪能で、国境警備軍幹部を勤めてから同窓の国立大日本語科OBを募って旅行会社を設立した。大の親日家だからだ。
「日本のラーメンも、北海道料理のジンギスカンも大好きです。食を含めた豊かな文化をもった日本の方々がどんどんモンゴルに来てほしいですね。でも、冬には寒さをきらってか、ほとんど日本のお客さんは来てくれません。夏の草原は花が咲き乱れて素敵ですが、冬の広漠さも美しいですよ。もっと、道路や鉄道が便利になればいいのでしょうけど、私たちと一緒に日本の人たちをモンゴルに誘ってくれるパートナーが日本に欲しいものです」(ナランさん)
夏場、ナランさんの会社は、ウランバートル郊外の美しい山野の中で営まれる“ゲル村”(ゲルで宿泊しながら、昔ながらの遊牧民料理=羊の蒸し焼きや自然散策、乗馬などをゆっくり楽しむ施設)へ日本人を案内するツァープランを提案し、毎年、数団体の日本人ツァーを成功させている。
「まともなラーメン屋さんが、一軒もないんですよ。大好きなラーメンが食べたいし、モンゴル人にも広げたい。ウランバートルに日本のおいしいラーメン屋さんが出来たら、冬なんか大繁盛だと思うんですけどね」――ナランさんのパートナーで、何度も日本への留学経験のあるバーチカさん(38)は語る。
あらゆる分野で“未開”でありながら、日本に熱い視線を向けるモンゴル。経営者のみなさんには、一度は訪れてほしい国である。
――モンゴルの大地は無限の可能性秘める
3月1日、筆者はチャーターした車でウランバートル市を出て、緩やかな陵線がうねる草原の中の道を進んでいた。日本留学を目前に、仕事を休職していて筆者に付き合ってくれている政府職員のスーヘさん(26)は、ハンドルを握りながらこんな話をしてくれた。
「モンゴルの広い大地の下は、豊富な鉱産資源が存在しているはずです。でも、ソ連との同盟国時代を通じて、ずっと手つかずのままでした。せいぜい岩塩くらいが輸出資源でしょうか。鉄道も100年近く前に敷かれたものから、路線も増えていませんし、道路もこんなに状態が悪ければ、資源開発しても輸送がままならないですからね」
首都ウランバートルを含め、モンゴルの幹線道路の舗装はデコボコだ。今年は異常に暖かいが(筆者が出かけている時点で最低気温-7~-9度、最高気温は0度程度)、例年の冬から早春は-20~-30度の酷寒で、夏は40度以上まで気温が上昇する。この寒暖の差は、道路舗装に大きなダメージを与える。路盤の土が膨張と収縮を繰り返し、舗装面はボロボロに欠けてしまう。
「モンゴルじゃ、普通の高級乗用車はすぐに壊れてしまいますね。高級な4輪駆動車や丈夫なベンツなら、大丈夫ですけど」(スーヘさん)
スーヘさんは、中古のベンツ・セダンに乗っている。しかし、行き交う車は、ほとんどがボロボロ。筆者はアジア諸国をあちこち行ったが、車の型式からいってモンゴルくらい早く自動車が傷んだ状態になる国はほかにないだろう。こんな話をしているうちに、われわれのベンツも、パンクしてしまいタイヤ交換……。
こんなモンゴルでも、例外的にきれいな舗装のまま、過酷な天候に耐えて保たれている道路がウランバートル市内にある。ほんの数キロしかないが、地元のモンゴル人たちが「太陽の道」と呼んでいる日本のODA(政府開発援助)で作られた道だ。もちろん、日本企業が技術指導し、建設した。こうした日本の技術に、現地の人たちは舌を巻き日本に対する尊敬と期待を高めている。
こうした社会資本整備については、日本の建設技術は世界でピカ一だ。もし、スーヘさんが嘆いたモンゴルの道路事情を改善するために日本企業が率先して活躍すれば、単に一分野にとどまらない経済波及効果があるのは、明白なのだが。

人口の大半が集まるウランバートルは、建設ラッシュ
いま、人口160万人のウランバートルは建設ラッシュだ。ここ2~3年のうちに「ロシア・タウン」「日本タウン」「韓国タウン」と通称されるマンション団地の建設が、急速に進んでいる(これらの呼称は、各国からの建設企業の参画や資金提供ぶりが反映している)。モンゴル国は、国土こそ日本の5倍強もあるが総人口はわずか260万人余。しかし、その大半が、大きく移り変わる経済情勢のなかで仕事を求めて世界との窓口である首都に移り住んできているのだ。
この急速な人口集中は、いまだウランバートルを慢性的な住宅不足の状況におく原因となっている。遊牧民から労働者に“職業がえ”した人々は、しかしながら当面の住宅としてかのジンギスカン時代より遊牧生活で使ってきたゲル(組立式・フェルト地の防寒テント)を使っている。首都の人口の半数が、いまだ“ゲル暮らし”だ。
モンゴル政府は、国際的な援助の多くを住宅建設分野に投入しており(厳しい気候は、“住すなわち生命にかかわる問題”だからだ)、ウランバートルでの建設業は活況状態が続いている。しかしながら、この建設業の多くのシェアを占めているのが、地の利を得た隣国・中国の建設企業である。中国企業は、自国の農村部から安い労働力を集めてモンゴルに投入し、高い利益率で工事請負をしているようだ。
しかし、中国企業の活況の裏で、さまざまな問題も起きている。
「中国の下層労働者と地元モンゴル人の間で、摩擦が生じています。文化の違いもありますが、いままで犯罪がほとんど起こらなかったモンゴルで組織的な窃盗事件や殺人事件が発生するようになりました。モンゴル人の一部では、外国人労働者の大量導入がこうした状況をもたらしたとみて、排斥を求める傾向も出ており、事態は複雑です」(地元治安機関幹部)
モンゴルの人たちは、大きな社会・経済情勢の変化の中で今まで直面しなかった問題にぶつかり、困惑している。そのなかで、技術的にも文化的にも高い到達を世界に示してきた日本企業の進出に期待する声がモンゴルの行政機関幹部や経済人の間で聞かれた。「教育レベルが高く、親切な日本の人々に来てもらって一緒に働きたい」――こうしたモンゴルの人々の声に、日本政府はもとより経済界も一考すべきものがあるのではないだろうか。
あらゆる分野で“未開”の魅力
――「ノモンハン事件70周年」を契機に日モ関係の飛躍を
今年は、モンゴル国の現代史のなかで重大な戦争であったノモンハン事件からちょうど70年目を迎える。当時のモンゴル人民共和国と旧満州国の未確定国境線問題をめぐり、モンゴル国境警備隊と満州国軍および日本陸軍の関東軍部隊が衝突したことに端を発し、ソ連軍まで大軍を繰り出して大きな武力紛争が繰り広げられたのは、1939年5月から9月にかけてのことだった。
この紛争については、日モ両国間で事後処理について公式に話し合われたのは、つい数年前である。戦場現地に残された日本側戦死者の遺骨は約3000柱といわれるが、遺骨収集事業は3年前に始まったばかりで、日本に戻ったのはわずか30数柱に過ぎない。
今後、日本がモンゴルと衝突するような国際情勢が再現されることはあり得ないが、異国の地で日本人同朋がほとんど無意味な戦い(双方とも侵略意図はなく、日本―ソ連の軍事的緊張関係を背景にエスカレーションした不幸な武力衝突だった)で骸をさらしたままになっているのは、日本人にとってもモンゴル人にとっても悲しいことである。この遺骨収集が進まない原因に、モンゴル全体の社会資本整備の遅れも大きな割合を占める。現地に赴くだけでも、軍用飛行機とオフロードカーを乗り継いで、数日を要するような大変な苦労が求められるのだ。
「モンゴルは、世界に誇れる景観と人間のあたたかさ、くつろぎがあります。観光を柱に平和な国づくりを進め、外国の人にモンゴルの良さを知ってほしい。でも、日本企業から提案やオファーがあることは、ほとんどないですね」
モンゴル国立大学で日本語を専攻し、現在は旅行会社を経営するナランさん(40)はこう述べる。ナランさんは日本語が堪能で、国境警備軍幹部を勤めてから同窓の国立大日本語科OBを募って旅行会社を設立した。大の親日家だからだ。
「日本のラーメンも、北海道料理のジンギスカンも大好きです。食を含めた豊かな文化をもった日本の方々がどんどんモンゴルに来てほしいですね。でも、冬には寒さをきらってか、ほとんど日本のお客さんは来てくれません。夏の草原は花が咲き乱れて素敵ですが、冬の広漠さも美しいですよ。もっと、道路や鉄道が便利になればいいのでしょうけど、私たちと一緒に日本の人たちをモンゴルに誘ってくれるパートナーが日本に欲しいものです」(ナランさん)
夏場、ナランさんの会社は、ウランバートル郊外の美しい山野の中で営まれる“ゲル村”(ゲルで宿泊しながら、昔ながらの遊牧民料理=羊の蒸し焼きや自然散策、乗馬などをゆっくり楽しむ施設)へ日本人を案内するツァープランを提案し、毎年、数団体の日本人ツァーを成功させている。
「まともなラーメン屋さんが、一軒もないんですよ。大好きなラーメンが食べたいし、モンゴル人にも広げたい。ウランバートルに日本のおいしいラーメン屋さんが出来たら、冬なんか大繁盛だと思うんですけどね」――ナランさんのパートナーで、何度も日本への留学経験のあるバーチカさん(38)は語る。
あらゆる分野で“未開”でありながら、日本に熱い視線を向けるモンゴル。経営者のみなさんには、一度は訪れてほしい国である。



