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2008年02月21日更新

<雨ニモ負ケズ>日本原料/鮮やかな大手術を成し遂げる

平均年齢57歳、技術承継の危機を前に
工場のオートメーション化と新規採用を断行


社長 齋藤安弘氏社長 齋藤安弘(Shoji Hayashi)
1962年神奈川県生まれ。89年、日本原料に入社。91年に取締役(企画開発推進本部本部長)に就任。93年、代表取締役専務に就任。97年、社長に就任し、現在にいたる。



浄水場のろ過材で80%の市場占有率を誇る日本原料。近年では、ろ過材の交換が不要なろ過装置「シフォンタンク」を開発し、業績を伸ばしている。老舗企業に特有の旧態依然とした保守的な社風にメスを入れて、鮮やかな大手術を成し遂げたのは、三代目として同社を引き継ぐために入社し意欲に燃えた若き齋藤安弘社長だった。
オンリーワンの大看板にあぐらをかいて業績が停滞

1989年、未来への夢を膨らませて日本原料に入社した齋藤安弘社長(45)が社内で目の当たりにしたのは、期待とはかけ離れた沈滞ムードだった。水道用ろ過材市場のオンリーワン企業として築いた事業基盤と看板にあぐらをかき、設備投資はおろか、技術開発や営業戦略の検討さえ行なおうとしない。

しかも、当時の社員約60人の平均年齢は、57歳に達していた。ろ過材用砂利の選別など難しい技術や知識を持つベテラン陣が数年後に定年退職を迎え、工場を動かす人材が激減するのは分かっているのに、対策を講じようとしていなかったのである。

「新卒の採用は長年にわたってゼロでした。営業をしなくても受注が途絶えないという安心感がわざわいし、社内には驚くほどの停滞感が漂っていたのです」(齋藤社長)
1939年、ろ過用の砂や砂利の生産・販売で創業した日本原料は、戦後日本の水道事業を支える存在として着実に右肩上がりの成長を続けてきた。

終戦直後はGHQ(連合軍総司令部)、高度経済成長期には関係官庁の指導を受け、半ば公的な役割を担う民間企業として全国の浄水場の80%以上にろ過材を供給するまでになった。この驚異的な市場占有率が仇あだとなり、バブル経済のただなかながら業績低迷を招いてしまった。



左/齋藤社長の改革の象徴ともいえる、全面改良された高萩工場(茨城県高萩市)。右/ろ過砂の洗浄、粒度選別などの一貫作業を24時間の無人運転で行なう「ろ過砂生産設備」(YH24A)は社内改革の起爆剤になった(高萩工場)。

人件費などのコストは上昇するのに売上高は横ばいで、他社の新規参入に対しても打つ手なしという八方ふさがりの状況。齋藤社長は新入社員とはいえ、祖母の先代社長の跡を継ぎ、いずれは三代目社長になるべく入社した経緯がある。
「このままでは、近い将来、会社の存続が危ぶまれる」
危機感を募らせた齋藤社長は、持ち前の行動力を発揮して大改革に乗り出した。今もなお企業家精神の柱とする“スクラップ&ビルド(破壊と創造)”の原点だ。

専門学校を回って新卒を採用
ベテラン社員の技術を機械化


会社の存亡を賭けて齋藤社長がまず着手したのが、若手社員の確保だった。会社の再生を図ろうにも、担い手がいなければ始まらない。昨今、団塊の世代が定年退職を迎え始める「2007年問題」が浮上し、ベテランの高度な技術力やノウハウの承継が企業の経営課題となっているが、日本原料は20年近く前に同様の問題に直面していたのだ。

「3年後に人材がごっそり入れ替わることを想定し、採用活動を始めました」(同)だが当時、世はバブル経済に沸いていた。新卒者は大手企業に吸い取られ、数百万円を投じて求人誌に広告を出しても何の反響もない。早々とぶつかった壁を打ち破ったのは、齋藤社長の冷静な分析と粘り強い働きかけだった。

地元志向の強い東北6県の専門学校を、採用活動の最重要ターゲットに定めた。地元志向が強いとはいえ、クラスにひとりくらいは上京したがる若者がいるはずと踏んだのだ。齋藤社長は固い決意を胸に、年に3回ほど、自動車で北海道から東北地方の専門学校を訪ねて回った。「学生を求めて、担任の先生とじかに会って話し、1校ずつ回りました。その結果、3年後には合計6人の新卒社員が当社で働くようになっていました」(齋藤社長)

若手社員の確保と同時に急がれたのが、ベテラン社員が抜けた後も技術力を保ち続けることである。その点に関しては、齋藤社長は短期間で若手を育成すると同時に、長年にわたって培った技術を1つひとつ数値化していき、機械が自動的に作業を行なうオートメーション化に答えを見出した。効率が格段に上がるうえ、ベテラン固有の技術依存から脱却し、技術力の流動化が実現できると考えたのだ。

新卒の採用が軌道に乗り始めた頃、齋藤社長の背中を押すように福岡県の自社保有の不動産の売却話がまとまった。これで得た資金を創業時からの主力工場である高萩工場(茨城県高萩市)に投じて、24時間稼働のオートメーション化を推進。自らの足を使って採用した若手社員とともにプロジェクトチームを組んで計画を進め、95年に高萩工場を全自動生産システムが備わった最新鋭施設へと生まれ変わらせた。
「社内の空気が一変しました。知識と経験がなくても、やる気と努力、行動力があれば結果が出せると、若手社員が自信を持ったのが手に取るように分かりました」(同)

そして、97年には大改革を成しとげた齋藤氏が三代目社長に就任。高萩工場も品質はもちろん、生産量は維持したまま30人での生産体制から10人での運営を実現し、生産コストの30%削減にも成功した。

「それを見ていた古参の社員も、若手社員の成功に裏づけされた行動を見て、自分たちも変わらなければと刺激を受けたようです」(齋藤社長)

03年には、ろ過材の交換が不要な画期的ろ過装置「シフォンタンク」を開発。水を通して社会と地球環境に貢献する経営理念を具現化した製品で、国内の民間企業から欧米諸国まで販路が拡大、売上高はバブル期の約2.5倍にまで上昇した。

「入社当時は約80%が官公庁からの受注でしたが、今は50~60%が官公庁で、40~50%が民間企業という割合になっています。

次なる目標は海外事業の強化。欧米諸国で販売代理店を増やしていきたいですね」(同)
既成概念にしばられないアイデアを次々と形にし、〝老舗病.にかかっていた日本原料をみごと再生させた齋藤社長は、海外を視野に入れて次なる事業領域に意欲を燃やす。



左/「環境への配慮」と「低コスト化」を両立した水処理用ろ過装置「シフォンタンク」は、「21世紀プロジェクト制度」から生まれた主力商品。海外からの問い合わせも多い。右/移動式のシフォンタンク「Mobile SIPHON TANK」は災害復旧活動の一助として活躍した実績がある。

【会社概要】
日本原料株式会社

設立 1939年
所在地 〒210-0005 神奈川県川崎市川崎区東田町1-2 NKF川崎ビル
TEL 044-222-5555(代)
FAX 044-222-5556
資本金 5000万円
事業内容 水道用ろ過砂の製造・販売、水道用ろ過砂利の製造・販売、各種特殊ろ過材の開発・製造・販売
URL http://www.genryo.co.jp/

文・橋口義彦(ハリーフッド)


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