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2008年01月10日更新

<雨ニモ負ケズ>全社一丸となって再建スタート

パートにまで経営意識を浸透させ
従業員の結束力を再生の原動力に


代表取締役 林正二(Shoji Hayashi)
1953年茨城県生まれ。東洋大学経営学部経営学科を卒業後、義兄の経営する旭物産に入社。福岡の九州支店長、専務を経て、99年に社長に就任。





コンビニエンスストアーで販売されるサラダなどのカット野菜や大根のツマ、もやしの生産・販売を手がける旭物産は、いまでこそ国内トップクラスの生産量を誇るが、かつて事業拡大に失敗し莫大(ばくだい)な赤字を抱えたことがある。企業存亡を賭けて取り組んだのが、事業拠点の整理、経営のテコ入れと同時に経者と従業員の相互理解だ。その努力が実を結び、1992年9月期から過去最高の売上高を更新し続けている。
火事がわざわい転じて福となり全社一丸となって再建スタート

「これで終わりかな。そう思うと胸が詰まりました」
92年、旭物産の本社工場(茨城県水戸市)で起きた火災を目にした時の胸中を、林正二社長はこう振り返る。3棟のうち2棟が全焼するという壊滅的状況だった。当時、林社長は常務として、経営危機に直面した会社の再生に奮闘していた。再生に手ごたえをつかみ始めていた矢先の火災である。それまでの努力が灰燼(かいじん)に帰したように感じられたのも無理はない。

71年に現会長の青柳勝之氏が創業した旭物産は、粗利益率の高いもやしの生産販売で着実に売り上げを伸ばしていった。黒字決算を続けるなか、78年には独身者や共働き世帯の増加につれて需要が高まったカット野菜の加工販売にも手を広げていく。国中がバブル景気に沸いた80年代後半には、旺盛な需要を背景に野菜加工のノウハウを生かして大根のツマの製造販売に着手。さらには商圏の拡大を目指し、兵庫県加西市と福岡県前原市で工場と販売拠点の新設に乗り出した。

ところが、この拡大戦略が仇あだとなり、経営陣は足元をすくわれる。創業者の勘と経験に頼ったワンマン経営は、当然、本人を抜きには成り立たない。
新拠点立ち上げのため、創業社長の青柳勝之氏、当時の常務・林正二氏らが優秀な人材を率いて兵庫や福岡に出向いている間に経営不振になり、あわや倒産という状況に陥ってしまった。

焼け落ちた工場跡に呆ぼう然ぜんと立ちつくす林社長の心に、希望の光を当てたのは従業員たちだった。誰に言われたわけでもなく集まり、脇目もふらずに後片づけを始めたのである。経営が傾きかけた会社に不安を募らせていた従業員が、気持ちを切り替えて自らの意思で動いたのだ。

それぞれが前向きに仕事に取り組み、出荷担当者は同業他社に臨時で委託生産を頼み込み、生産担当者は仮設工場を1カ月で完成させて業務を再開させた。
「みんなの心が変わり、会社が一丸となった」林社長は再生の大きな柱とした従業員の意識改革、経営陣と従業員との相互理解が1つの結果を出したと実感した。火事で失ったものは大きかったが、同時に全員が一丸となって苦境に立ち向かう貴重な経験ともなった。この年、災厄に見舞われたにもかかわらず、過去最高の売上高19億円、経常利益1億3000万円を計上。2年後の94年には、累積赤字を解消するにいたった。



写真の水戸工場(茨城県水戸市)ではカット野菜を製造。このほか、内原工場(同)ではもやし、鉾田工場(同鉾田市)では大根のツマと、工場ごとに生産物を分けている。

業務の改善策が飛び交う「風通し委員会」

旭物産の再生の鍵は、社員はもちろんパート従業員にまで経営意識を浸透させたことにある。1人ひとりの従業員がいかにして会社に貢献し、利益を上げるかを考え、仕事に取り組むようになった。経営危機に陥る以前には、考えられないことだ。

もちろん、経営陣は新拠点づくりで本社を空ける間の経営管理体制を考えなかったわけではない。銀行出身者を副社長に迎え入れ、会計事務員をスカウトするなど、手は打っていた。新拠点を設けるのも、商材の性質上、拡大のためには必要なことだった。
野菜類の品質管理においては鮮度の維持が重要であるため、本社所在地の茨城県で製造した商品の販売地域は関東圏に限定される。そこで関西、九州へと進出したのだが、本社の各部門で生じた小さなほころびは、徐々に広がっていった。

もやし、カップサラダ、大根のツマもやし、カップサラダ、大根のツマなど100品目以上を生産。野菜は信頼のおける生産者から直接買いつけている。




「次第に本社からの定期報告が滞りがちになり、おかしいとは感じていたのですが、新拠点の体制づくりで手が離せず……。結局、背伸びしすぎたのです」(林社長)
営業担当者は利益率の向上を大局的にとらえきれず、仕入れ原価や製造コストの管理をおざなりにして売り上げ確保に奔走。製造現場ではロス削減や在庫管理が甘くなった。受注価格が製造原価を下回る赤字受注が増えていく。林社長は福岡と茨城を何十回も往復するが、一度傾きかけた動きを食い止められない。

89年に2億円、90年には1億6000万円と2期連続で大幅赤字を計上。借入金が売上高の半分の8億円にまで膨らみ、取引銀行は次々と手を引いていった。屋台骨が揺らいでは、拡大戦略もない。
立て直しは、関西、九州の拠点を閉鎖するという苦渋の選択により借入金を6億円まで圧縮することから始まった。西友フーズ取締役を定年退職した長田耕吉氏を企画室長に招いて抜本的な転換策を練り、水戸本社に一極集中して巻き返しを図った。

財務改革では、野菜を一定価格で仕入れる契約を直接農家と結び、収支管理を徹底した。市場を通すと相場次第で価格が動き、予算に基づく事業の推進が困難だったためだ。製造方法にも手を加え、1工場1商品とした。商品ごとに作業工程や管理方法が異なるため、単一化することで効率を高めたのである。

事務職員も白衣を着用事務職員も白衣を着用するなど、徹底した衛生管理が行なわれている。





そして、従業員の意識改革のために設置したのが「風通し委員会」。一般社員からパート従業員までの十数人で編成した委員会を毎月開いた。初めは待遇の改善や先行きの見えにくい状況に不安や不満の声ばかりが多く上がったが、しだいに風向きが変わっていく。
経営陣と従業員が時間をかけて正面から向き合った結果、相互理解が進み、製造ラインの改善や作業の効率化のための具体的な提案が飛び交うようになり、全従業員の間に経営意識が着実に根づいていった。

「当初は、経営者から見れば瑣末(さまつ)なことと思える要望もありましたが、誠実に対応することで、従業員の間に『では自分は会社のために何ができるか?』という意識が芽生えてきたのです」(同)

徹底した衛生管理体制、24時間対応のクレーム処理、環境に配慮した製造システムなども従業員が率先して仕組みを作っていった。「経営者が采配(さいはい)を振るうだけでは、
すぐに立て直すことはできなかったでしょう。さらに、従業員が誇りを持てる会社にしていきたいですね」(同)

現在、旭物産の商圏は、流通網の整備により仙台から名古屋まで広がり、順調な成長を続けている。近く、茨城県水戸市を中心とする3工場体制に加え、近場にもうひとつ工場を新設する予定だ。

会社概要
旭物産

【設立】1971年10月1日
【資本金】2000万円
【事業内容】もやしの製造販売・農産品の加工販売
【所在地】〒310-0853 茨城県水戸市平須町504
【TEL】 029-305-6000(代)
【FAX】 029-305-3323
【URL】 http://www.asahibsn.co.jp/


文・横山博之


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