2007年11月08日更新
雨ニモ負ケズ<震災から見事に復活「オリバーソース」>
震災ですべてを失うも
経営姿勢を曲げず見事に復活
代表取締役社長 道満雅彦Masahiko Dohman
1952年神戸市生まれ。甲南大学経営学部卒、75年オリバーソース入社。91年より現職。神戸経済同友会副代表幹事、神戸ロータリークラブ幹事などの要職も務める。
経営姿勢を曲げず見事に復活
代表取締役社長 道満雅彦Masahiko Dohman1952年神戸市生まれ。甲南大学経営学部卒、75年オリバーソース入社。91年より現職。神戸経済同友会副代表幹事、神戸ロータリークラブ幹事などの要職も務める。
ソースを作って80年以上、業界の雄として神戸発の味を送り出してきたオリバーソース。1995年の阪神・淡路大震災により製造・販売体制が崩壊し、97年に新社屋完成へとこぎつけた頃には顧客離れが進んでいた。相次ぐ苦難にも滅入ることなく、高品質を追求する経営姿勢を貫き、みごとな復活劇を演じている。
事務棟、工場棟が全焼
伝票までが灰と化した
95年1月17日。阪神・淡路大震災の発生から約30分後、道満雅彦社長(54)は、神戸市兵庫区にある本社へと急ぐ車中にいた。住吉の自宅を出る際はまだ詳細がつかめず、未曾有の事態を知らずにいた。
「兵庫区に入る頃からじょじょに嫌な予感がし始め、本社に近づくとすべてを理解しました。ひときわ大きな炎が上がっていた場所が当社でしたから」
震災当日の工場内。社員総がかりで懸命の消火活動にあたる。
当時、オリバーソース(神戸市中央区)の本社が立地していた場所は、大震災による被害が最も大きい地域の1つだった。本社社屋のうち事務棟と工場を含めた3棟が全焼という惨事に、道満社長は声を失った。製造と販売、両方の中枢機能を失うという壊滅的な被害を被ったのである。
「売り上げを記録していたコンピューターも、元の伝票すらも消失していました」(道満社長)
丸2日を経てようやく鎮火したあとも、一帯の電気や水道などの社会基盤は復旧しない。製造再開どころか、再起をかけた第一歩を踏み出すことすらままならず、売掛金の回収も困難な状態。それでも、手をこまねいているわけにはいかない。道満社長は兵庫県内の西脇市にあった関連会社に急きょ営業拠点を置き、会社の機能回復に努めた。
創業家一族そろって私財を投じ
2年半後に新社屋を完成
オリバーソースは、1923年に醤油メーカーから転身し、ソース製造を開始した。48年に世界初のとんかつソースを開発するなど、日本のソース業界の先頭を走ってきた企業である。関西では特に売れ行きがよく、道満社長は「震災前までお好み焼ソースは独占状態だった」と言う。
再建への道のりは長く厳しいものとなった。4カ月後にプレハブの社屋を建て、小規模の工場も設けて製造ラインを再開させた。一滴もソースを作ることができない状態からは抜け出したが、生産量は以前の約4分の1。せっかく注文を受けても、すべてに応えられるだけの生産ができない苦渋の日々が続く。
本格的な再稼働までには2年の歳月を要した。焼け落ちた本社周辺が区画整理の対象となったこともあり、中央区ポートアイランドに工場を併設した新社屋が完成したのは97年だった。創業家が一族そろって私財を投じて建てた新工場は、以前の工場をはるかに上回る生産能力を持つ。だが、行く手にはさらなる苦難が待ち受けていた。顧客離れである。
価格競争と好みの変化で
顧客離れが進む
オリバーソースが商品を満足に供給できなかった約2年半の間、まさに間げきを縫うようにして他社製品が市場に浸透していった。かつてオリバーソースの製品がずらりと並んでいた販売棚には、他社製品があふれている。時勢を反映して低価格を売り物にする商品が多かった。道満社長は、この状況変化は覚悟のうえだったが、何よりショックだったのは消費者の味の好みが変化していたことだったという。「新社屋が完成して、これからという時なのに売れ行きが伸びず、もどかしい気持ちで毎日を過ごしていました」(道満社長)
しかし、嘆いてばかりもいられない。道満社長は他社製品が好まれる理由を分析した結果、他社商品は味よりも低価格によって需要を伸ばしていると判断した。となれば、安くて売れる味へと方向転換をしそうなものだが、オリバーソースは違った。
現実問題として、新社屋建設で莫大な投資をした同社には、利益を極限まで削る低価格路線はとれない。それよりも、高品質の商品を適正価格で提供する経営姿勢を曲げたくなかったのが、低価格路線に走らなかった大きな理由だ。
歴史と伝統のある味を守り、必ずや消費者を振り向かせる。道満社長は心に誓った。道満社長が考えに考えてたどりついたのは、オリバーソースが本来もっていた「マーケットインよりもプロダクトアウト」戦略の徹底だ。
「マーケットイン」とは、近年では主流となっているモノづくりの考え方で、価格や品質などを消費者の嗜好に合わせて商品開発をする。ソースでいえば、一般受けする味を低コストで製造することになる。
これに対し、「プロダクトアウト」は、自社固有の技術を駆使して新たな商品を世に問う開発姿勢で、価格にはこだわらないという考え方。商品力に絶対の自信を持っていなければ、決してとれない戦略である。追い風も吹いてきた。市場で消費の二極化が進み、高級品が受け入れられる土壌が生まれてきたのだ。
伝統ある味を守りつつ
新製品を続々と開発
オリバーソースの商品の特徴は、沈殿製法という製造方法にある。固形の材料をそのまま混ぜ合わせてソースを作る製法で、うわずみのウスターを抽出する際に底に溜まる澱(おり)が邪魔になるが、他の製造法では出せない濃厚で深い味わいが生まれる。同社はこの伝統的な製法を守りつつ、邪魔者扱いされる澱を逆に生かし、濃厚な味わいを打ち出した「どろソース」を開発。
最高潮を意味する「クライマックス」シリーズ。左から「どろ」「ウスター」「とんかつ」の各ソース。独自の製法で開発し07年2月に発売した「やわらかだしソース和」も人気商品に成長しつつある。
震災後はこれを強化する一方で、さっぱり味の「やわらかだしソース和」なども発売。優れた商品開発力により、市場で巻き返しを図った。とはいえ、いったん失った売り場の棚を取り戻すのは難しい。震災から12年を経た今も、市場に出回る同社商品の量は以前と同じレベルまでには回復していない。
道満社長は「失った2年半」の重みを肩に感じつつも、97年7月の新社屋完成から10年を経た今、未来を見据える。
「震災で命を落とした社員もいます。震災はとてもつらい経験でした。しかし、後ろを向いていても仕方ありません。震災後は社員が団結して困難克服に当たってきました。つらい思いは自分の胸の内にしまって、社長としては前だけを見て行きます」震災後も、オリバーソースは神戸発祥の味を守るため、独自の商品開発を続けている。売り上げも震災前の水準に戻りつつある。新工場がフル稼働する日はそう遠くないだろう。
【会社概要】
■本社:〒650-0047 兵庫県神戸市中央区港島南町3-2-2
■創業:1923年3月
■TEL:078-306-6300
■資本金:9960万円
■従業員数:74人
■事業内容:ソース・液体調味料・冷凍食品などの製造・販売
(文・上地智)
伝票までが灰と化した
95年1月17日。阪神・淡路大震災の発生から約30分後、道満雅彦社長(54)は、神戸市兵庫区にある本社へと急ぐ車中にいた。住吉の自宅を出る際はまだ詳細がつかめず、未曾有の事態を知らずにいた。
「兵庫区に入る頃からじょじょに嫌な予感がし始め、本社に近づくとすべてを理解しました。ひときわ大きな炎が上がっていた場所が当社でしたから」
震災当日の工場内。社員総がかりで懸命の消火活動にあたる。当時、オリバーソース(神戸市中央区)の本社が立地していた場所は、大震災による被害が最も大きい地域の1つだった。本社社屋のうち事務棟と工場を含めた3棟が全焼という惨事に、道満社長は声を失った。製造と販売、両方の中枢機能を失うという壊滅的な被害を被ったのである。
「売り上げを記録していたコンピューターも、元の伝票すらも消失していました」(道満社長)
丸2日を経てようやく鎮火したあとも、一帯の電気や水道などの社会基盤は復旧しない。製造再開どころか、再起をかけた第一歩を踏み出すことすらままならず、売掛金の回収も困難な状態。それでも、手をこまねいているわけにはいかない。道満社長は兵庫県内の西脇市にあった関連会社に急きょ営業拠点を置き、会社の機能回復に努めた。
創業家一族そろって私財を投じ
2年半後に新社屋を完成
オリバーソースは、1923年に醤油メーカーから転身し、ソース製造を開始した。48年に世界初のとんかつソースを開発するなど、日本のソース業界の先頭を走ってきた企業である。関西では特に売れ行きがよく、道満社長は「震災前までお好み焼ソースは独占状態だった」と言う。
再建への道のりは長く厳しいものとなった。4カ月後にプレハブの社屋を建て、小規模の工場も設けて製造ラインを再開させた。一滴もソースを作ることができない状態からは抜け出したが、生産量は以前の約4分の1。せっかく注文を受けても、すべてに応えられるだけの生産ができない苦渋の日々が続く。
本格的な再稼働までには2年の歳月を要した。焼け落ちた本社周辺が区画整理の対象となったこともあり、中央区ポートアイランドに工場を併設した新社屋が完成したのは97年だった。創業家が一族そろって私財を投じて建てた新工場は、以前の工場をはるかに上回る生産能力を持つ。だが、行く手にはさらなる苦難が待ち受けていた。顧客離れである。
価格競争と好みの変化で
顧客離れが進む
オリバーソースが商品を満足に供給できなかった約2年半の間、まさに間げきを縫うようにして他社製品が市場に浸透していった。かつてオリバーソースの製品がずらりと並んでいた販売棚には、他社製品があふれている。時勢を反映して低価格を売り物にする商品が多かった。道満社長は、この状況変化は覚悟のうえだったが、何よりショックだったのは消費者の味の好みが変化していたことだったという。「新社屋が完成して、これからという時なのに売れ行きが伸びず、もどかしい気持ちで毎日を過ごしていました」(道満社長)
しかし、嘆いてばかりもいられない。道満社長は他社製品が好まれる理由を分析した結果、他社商品は味よりも低価格によって需要を伸ばしていると判断した。となれば、安くて売れる味へと方向転換をしそうなものだが、オリバーソースは違った。
現実問題として、新社屋建設で莫大な投資をした同社には、利益を極限まで削る低価格路線はとれない。それよりも、高品質の商品を適正価格で提供する経営姿勢を曲げたくなかったのが、低価格路線に走らなかった大きな理由だ。
歴史と伝統のある味を守り、必ずや消費者を振り向かせる。道満社長は心に誓った。道満社長が考えに考えてたどりついたのは、オリバーソースが本来もっていた「マーケットインよりもプロダクトアウト」戦略の徹底だ。
「マーケットイン」とは、近年では主流となっているモノづくりの考え方で、価格や品質などを消費者の嗜好に合わせて商品開発をする。ソースでいえば、一般受けする味を低コストで製造することになる。
これに対し、「プロダクトアウト」は、自社固有の技術を駆使して新たな商品を世に問う開発姿勢で、価格にはこだわらないという考え方。商品力に絶対の自信を持っていなければ、決してとれない戦略である。追い風も吹いてきた。市場で消費の二極化が進み、高級品が受け入れられる土壌が生まれてきたのだ。
伝統ある味を守りつつ
新製品を続々と開発
オリバーソースの商品の特徴は、沈殿製法という製造方法にある。固形の材料をそのまま混ぜ合わせてソースを作る製法で、うわずみのウスターを抽出する際に底に溜まる澱(おり)が邪魔になるが、他の製造法では出せない濃厚で深い味わいが生まれる。同社はこの伝統的な製法を守りつつ、邪魔者扱いされる澱を逆に生かし、濃厚な味わいを打ち出した「どろソース」を開発。
最高潮を意味する「クライマックス」シリーズ。左から「どろ」「ウスター」「とんかつ」の各ソース。独自の製法で開発し07年2月に発売した「やわらかだしソース和」も人気商品に成長しつつある。震災後はこれを強化する一方で、さっぱり味の「やわらかだしソース和」なども発売。優れた商品開発力により、市場で巻き返しを図った。とはいえ、いったん失った売り場の棚を取り戻すのは難しい。震災から12年を経た今も、市場に出回る同社商品の量は以前と同じレベルまでには回復していない。
道満社長は「失った2年半」の重みを肩に感じつつも、97年7月の新社屋完成から10年を経た今、未来を見据える。
「震災で命を落とした社員もいます。震災はとてもつらい経験でした。しかし、後ろを向いていても仕方ありません。震災後は社員が団結して困難克服に当たってきました。つらい思いは自分の胸の内にしまって、社長としては前だけを見て行きます」震災後も、オリバーソースは神戸発祥の味を守るため、独自の商品開発を続けている。売り上げも震災前の水準に戻りつつある。新工場がフル稼働する日はそう遠くないだろう。
【会社概要】
■本社:〒650-0047 兵庫県神戸市中央区港島南町3-2-2
■創業:1923年3月
■TEL:078-306-6300
■資本金:9960万円
■従業員数:74人
■事業内容:ソース・液体調味料・冷凍食品などの製造・販売
(文・上地智)



